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最高裁判所第二小法廷 昭和52年(あ)2275号 決定 1978年10月03日

本店所在地

大阪市北区豊島町四番地

新日本不動産株式会社

右代表者代表取締役

小原四郎

右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和五二年一一月一七日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人青木英五郎、同澤田脩の上告趣意第一点のうち、憲法三一条違反をいう点は、いずれもその実質は単なる法令違反の主張にすぎず、憲法三八条一項、二項違反をいう点は、記録によると、小原孝二の検察官に対する供述は任意になされたものと認められるから、所論は前提を欠き、同第二点は、事実誤認の主張であって、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 栗本一夫 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊)

昭和五二年(あ)二二七五号

被告人 新日本不動産株式会社

弁護人青木英五郎、同澤田脩の上告趣意(昭和五三年二月一五日付)

本件につき、第一審は

被告人を罰金五〇〇万円に処する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

との有罪判決をし、原審はこれを是認する判決をした。しかし、右判決は次の理由により破棄されるべきである。

第一、憲法違反

一、第一審は、小原孝二の検察官に対する供述調書四通を、本件有罪事実認定の最も重要な証拠としているが、右四通の供述調書は刑事訴訟法三二一条一項二号書面として採用決定されたものである。

ところで、右小原孝二は被告人会社代表者であり、また行為であるとして、右会社とともに個人としても起訴されたものであるが、その後、昭和四六年七月三日死亡した。従って、右小原孝二は本件では個人として被告人であったと同時に、被告人会社代表者本人であったものであり、死亡したからとて同人の供述調書が被告人以外の者の供述調書となるわけがないから、刑事訴訟法三二一条の適用を受けないものといわなければならない。

しかるに、原判決は、この点について「小原孝二は、その生前、被告人会社の代表者ではあっても、被告人会社そのものではなく、被告人会社との関係はあくまでもこれと別個独立の人格として取扱わるべき筋合であるから同人の検察官調書は、これを刑事訴訟法上被告人会社の関係で、被告人以外の者の供述を録取した書面と解すべきであって、これを同法三二一条一項二号に基き採用した原審の処置は相当である。」としている。

しかし、法人については、その代表者の供述こそまさに本人の供述であり、またそれ以外に本人の供述はありえない。

のみならず、原判決は、後述のとおり、被告人会社の別個独立の法人である新日本新聞社、ラジオ日本新聞社が日本レーヨンから受料した広告料について、これを被告人会社の本件株式売買代金の一部であると曲解しているが、その認定をするに際しては「被告人会社、新日本新聞社、ラジオ日本新聞社、などは法人としては一応別個のものではあるが、実体はそれらの代表者であり大半の株式を所有する小原孝二そのものである」とまで極論しているのであって、明らかに前後で矛盾している。即ち、原判決は、一方では小原孝二と被告人会社とは別個独立の人格とし小原孝二は被告人会社そのものではないとしながら、他方では被告人会社は小原孝二そのものであるとするなど、本件を有罪とするためには全く都合のよいように使い分けているが、論理の矛盾も甚だしい。

右のとおり、小原孝二の検察官に対する供述調書四通の採用をし、これを有罪認定の最も重要な証拠としたことは、「何人も、法律の定める手続によらなければ刑罰を科せられない」とする憲法三一条の法定手続の保障に違反するものといわなければならない。

二、のみならず、右小原孝二の検察官に対する供述調書四通は、いずれも、もともと証拠能力を欠くものである。

即ち、第一審で取調のあった証人小原淳子の証言並ぴに被告人会社現代表者小原四郎本人の供述によると、小原孝二は当時胃病と慢性蓄膿症に苦しみ、常に医師の治療を受けていた病身であったにかかわらず、昭和四三年一〇月八日逮捕され、引続き勾留されて約六〇日間も家族との面会さえ許されずに身柄を拘束された。右四通の検察官調書の作成日付は同年一一月二三日、同月二五日、同月二七日、同月二九日であって、いずれも、右の身柄拘束期間中の最後のころにおける小原孝二が最も身心ともに疲労のどん底にあった時期に作成されたものである。しかも、小原孝二は検察官の取調に際し「もし自白しなかったならば、妻や娘をも逮捕する、更には小原孝二が経営する新聞社の幹部さえも逮捕するぞ」と脅迫され、やむなく不本意な自白調書を作成されたのである。保釈によってようやく釈放されたときの小原孝二の様子はやせ衰えて、みる影もなかったほどであった。

右のとおり、小原孝二の検察官に対する供述調書四通は、検察官の強制・脅迫による自白であり、また不当に長く拘禁された後の自白であるから証拠能力がない。しかるに、第一審では、実際は弁護人の意見を聞かずにいきなりこれを採用してしまい、やむなく弁護人は後にその任意性を争うことになったものであるが、その点はともかくとして原判決は「所論に添う原審証人小原淳子の証言や被告人会社の現代表者小原四郎の原審における供述はいずれも同人らの小原孝二との身分関係その他諸般の事情に照らしにわかに措信できず」として、こともなげに任意性欠如に関する証拠を斥けてしまい、「かえって当時の小原孝二の地位、身分、右各供述調書の形式、その作成時期、及びその供述内容、その他、関係証拠により認められる諸般の事情を綜合すると、原審が右各供述調書につき任意性を認め、これを証拠としたことに所論の違法はない。」としている。しかし、これが一体、公平を旨とする裁判所の判断を示したものということができるであろうか。

(一) まず、小原孝二が死亡したのであるから、被告人・弁護人側としては、同人と生活を共にし、当時の事情を最もよく承知している近親者によって、当時の状況を明らかにする以外に方法がないし、またそれが最も相当な証拠方法であろう。にもかかわらず、原判決が「証人小原淳子の証言や被告人会社現代表者小原四郎の供述は同人らの小原孝二との身分関係その他諸般の事情に照らし、にわかに措信できず」というのでは、頭からこの点に関する被告人・弁護人側の立証を封ずるにも等しい。

(二) しかも、当時の小原孝二のいかなる地位・身分・右供述調書のどのような形式、その作成時期とどのような関係、及びその供述内容のいかなる点、その他関係証拠により認められるというどのような諸般の事情を綜合したのか、一切それらの具体的理由を示さずに右各供述調書の任意性を認めるに至っては何びとも到底納得し難いところである。

(三) もともと、供述調書の任意性は、検察官の立証責任である。本件においては検察官は何ひとつ任意性についての立証をしていない。

右のような諸般の事実を考え合わせるならば、原判決のこの点に関する前記のごとき態度は、憲法三八条一項、二項を全く空文化してしまい、その精神を踏みにじるものといわなければならない。

右の次第で、原判決には憲法三八条一項、二項の違反があり、この点においても原判決は破棄を免れない。

三、更に、本件公訴は公訴権の濫用によるものであり、これを看過して有罪とした原審判決は、この点でも憲法三一条の法定手続の保障に違反する。即ち、

(一) 本件事実経過は後に詳述するとおり

(1) 日本レーヨン株式会社と被告人会社との間の本件株式を単価七五円で売買する株式売買契約と、日本レーヨン株式会社の株式会社日本新聞社及び株式会社ラジオ日本新聞社に対する両社がそれぞれ発行する新聞に各二、〇〇〇万円宛の広告を掲載する広告契約とは形式的にも実質的にも別個の契約と認められるべきであり、従って、それぞれについて別個の計画処理をしたことに違法はない。

(2) また、本件株式売買契約は配当金付売買契約であったところ、配当金が確定し、その支払がなされた時期をもつて完了したものとして、昭和四三年四月期には右株式のみの代金の受領を仮受として処理し、次年度に申告することになったもので、かような場合、株式の売買代金の支払と配当金の支払とを一体とみて、配当金支払の時期に一括して計理処理することは十分考えられることである。

しかし、右のような計理処理が、どうしても適切でないというならば、第一審証人高田正康、原審証人松本和夫が繰返し説明するように、これに対して更正処分をもって是正すれば足りるのであって、いきなり脱税事犯として刑事訴追するような事案ではない。即ち、本件では株式売買代金をその年度に取敢ず仮受として受入を明らかにしており、翌期にその利益を計上しているのであって、いわゆる悪質な仮装隠蔽、即ち利益があるのにこれを全く計上しないとか、損失がないのに損失があるように計上するがごときとはわけが違うのである。

(二) 殊に、前記松本証人の証言でも明らかなとおり、被告人会社では青色申告が認められている。従って、法人税法五七条、八一条により、欠損金の繰越し、繰戻しの手続が認められている。即ち、青色申告については損益計算は年度毎に打切りとなるのではなくて通算が認められているのであるから、本件株式売買についていうならば本来これによる収益を昭和四三年四月期に計上すべきところ、昭和四四年四月期に計上したとしても、昭和四四年四月期末では同じ結果となるはずである。

以上のような諸事情があるのにかかわらず、被告人会社ならびに小原孝二に対していきなり強制捜査のうえ同人らに対して公訴したことは公訴権の濫用だといわなければならない。本件の捜査が前述のようなまことに乱暴な違法捜査であったこと、その捜査、公訴提起の時期には、仮に本件計理処理が適切でなかったとしても更正処分により十分是正することができたし、また本来そうすべき事案であったこと、翌期にまたがる通算処理の問題が残されていたこと等を考え合わせると一層公訴権濫用は明らかである。

第二、事実誤認

原判決には以下に述べるとおり、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

原審が是認した第一審判決は

「小原孝二は被告人会社の業務に関し法人税を免れようと企て、同会社所有株式の売却により売却益があったのに右売却益を計上せず、売却代金を仮受金として処理する等の不正な方法により所得を秘匿し」

と認定している。そして、右認定部分こそ、本件の最も重要な基本的事実であることはいうまでもないが、原審ならびに第一審は、この点において事実を根本的に誤認している。そこで以下順次説明する。

一、株式売買価額について

(一) 本件で問題とされているのは、被告人会社が売却した近江絹糸株式会社の株式二〇〇万株である。

ところで、昭和四二年七月ごろ、当時日本レーヨン株式会社としては紡績に関する営業政策として、近江絹糸の安定株主となることが必要であるとの見地のもとに、そのころ近江絹糸の株式につき、紀井産業株式会社所有の四〇〇万株と被告人会社所有の二〇〇万株合計六〇〇万株を是非取得したいとの方針が決定された。そこで、日本レーヨンは先ず右紀井産業と交渉し、昭和四二年一一月一日四〇〇万株を一株七二円で買取った。次いで、被告人会社に対し、日本レーヨンは副社長増山成夫、財務部長三木一郎が担当者として被告人会社の社長であった小原孝二と前記二〇〇万株の買取の交渉を重ねた。その交渉経過と結果について、第一審証人増山成夫は次のとおり証言している。

「弁護人

あくまで契約としては二つになるわけですね。

二つになるわけです。それはそうです。

一方は株の売買契約、一方は広告契約ということで契約は二本立になるわけですね。

そうです。これは禀議書というのがありまして株の買取価格は七五円ということで社内で重役会でも認めているわけです。あとの二〇円は広告代だと、

全部社内的な処理としては対外的にもきっちりそういうことで処理されてるわけでしょう。

そうです。

検察官

検察官が尋問したことに対する答と、弁護人が尋問したことに対する答が、聞きようによってはどちらともとれるような答になるんで、もう一度念を押しますが、二〇〇万株九五円で買ったということは間違いないんですか。

株の値段の交渉の過程で非常にもめまして、こちらは七五円から一歩も出ない、と言ったんです。向うは一〇〇円以上だと言ったんです。それで年末に及んでどないもならなかったわけです。これは、やめないかんなというところまで来てたんですが、しかし四〇〇万株あるから、もうあと二〇〇万株どうしてもほしいと、小原さんの方も早くけりつけたいというところがあったようですから、結局それじゃ九五円で手を打とう、ということになったわけです。それで、その後日、株の値段は七五円で広告が二〇円だと、こういうことになったわけです。

株を九五円で買うということにしたのであれば有価証券売買約定書というものを一本作って、その単価を九五円とすればいいはずなのに、それにもかかわらず広告契約書というようなものが形式上くっついておるので、そこのところの話が少し分りにくいんですよ。

これは、あの当時のことを思い出すんですけれども、私はあくまでも七五円でがんばっておって折合いがつかず、小原さんのほうも私のほうの会社側に対して気の毒だという気もあったようです。それじゃこれは広告でいきましょうというような話合いがあったふうにも思うんですけれども、その辺のところ、記憶がどうもしっかりしないんです。

株も九五円で買って、契約書の形式はこんな形にしたというふうに理解してよろしいんですか。

それはそうじゃないです。現実に広告してるんですから。

株を九五円で買ったということも分かりにくいんですね。

その当時、新日本新聞、ラジオ新聞なんかの発行部数はなんぼだ、宣伝力はどれくらいある、効果はどれくらいあるじゃないか、というようなことをその当時調べたものです。それで、まあ、二〇ケ月四、〇〇〇万円というのはいささか高いな、ということになったんですけれども、まあ、これはええわい、ということで四、〇〇〇万円を広告でいこうというようなことになったと思っているんですが……。前に検事に調べを受けた時にあなたが話した趣旨を言いますと、株を九五円で買ったんだが、小原からの申入れによって、こういう広告というような形式の契約にしたんだと、あくまでも広告契約というのは名目だという趣旨のことを話されているので、今日ここでお話になることと、前に検事に話したところが要点によって違いますので、どうだろうかなということでくどいようですが、確めてるんですよ。

広告料四、〇〇〇万円に相当するだけの値打はないなという意識はあったんですが、それでそういうふうに検事がそう誘導されたのでそうですといったんだと思いますけれどもね。

広告料で四、〇〇〇万円の値打はない、ということを言っていますね。

そうだろうと思います。それは発行部数もそんなに大きくないし、それくらいのことは考えてあったんですけれども、

広告料で四、〇〇〇万円の値打はないということは、事実なんでしょう。

少々、高い広告料だなというふうに考えておったことは事実です。

…………

弁護人

だから、株価としてはやはり七五円で、あとの分は高い宣伝費を払わされたと、そういうふうにお考えになっているということですか、

そうです、それが本当だと思いますな、

先程、今から冷静に考えてみると間違いだったという意味の証言をなさいましたが、それが、今おっしゃったような意味が本当のことだという意味なんでございますね。

そうです。

…………

裁判官

それまでにあなたのほうで、代表者社長に、株価は七五円で広告料四、〇〇〇万円払うことになった、というような報告はされたことあるんですか。

それは勿論何辺もやってるわけです。

代表者との話合いはしておられたわけですね。

はい。

更に、証人三木一郎は次のように証言している。

「検察官

小原はどういうふうに言ったわけですか。

こちら側はとにかく一〇〇円を切ってもっとまけてくれな困ると言った時に、小原さんが、それじゃ株価は七五円ということにしましょう。その代りに自分のやっておる二つの新聞に広告代として二、〇〇〇万円づつ四、〇〇〇万円を払ってくれるか、ということだったんで、私のほうとしては、七五円円だったら、前に七二円で買ったのともつり合いが取れるしいいなと思ってその話に乗ったわけです。

…………

弁護人

大体交渉について新日本不動産からは七五円位までで買おうというような話は、内部的には相談されたことがあるんですね。

なるべく、七二円に近い所で買いたい、ということは話しております。

これは紀井産業から七二円で買ったからそれとあまり開くと紀井産業に対する関係でもよくないということが、一つの理由になってたんでしょうか。

それもありました。

ほとんど同じ時期ですからね。

そうです。

その他に、株主対策上の問題もあったんじゃないでしょうか。

株主対策ということでもありませんけれども、やはり会社の経営者として、そうあまり高いものは買いたくなかった、ということもありました。

同じ時期であれば、あまり開いた値段では買いたくなかった。

はい。

そして、とにかく小原との交渉で、まけてくれということで交渉されて、結局、最終的に、株は七五円、その代り、別に、新日本新聞と、ラジオ日本新聞について、広告してくれ、という話が出たわけですね。

そうです。

広告については、はっきりした契約がありますね。

あります。

その契約の通り、広告は新日本新聞なり、ラジオ日本新聞のほうで広告が掲載されてますね。

されました。

くどいようですけれども、前回もそうおっしゃってるんですが、あくまで株価は七五円、そして二、〇〇〇万円づつ、合計四、〇〇〇万円が二つの新聞に出された広告料として支払われたというふうにうかがってよろしいですか。

形の上では、そういうことです。形の上では、と申しますのは、事の起こりが、やはり株式の問題から起ったことで、もしも、株式の問題がなければ、それだけの広告は、してなかったと思います。だから、事の起こりはそうであるけれども、形の上では、株価は七五円、広告は二、〇〇〇万円づつ、四、〇〇〇万円ということで、会社の内部的にもそういう処理を当時いたしました。

形の上では、とおっしゃったですけれども、勿論広告料の四、〇〇〇万円の話の出たきっかけは、この株の売買の交渉からでたけれども、結論的には、形の上だけではなくて実質的にも広告料として支払われたんじゃないですか。

実質的にと言いますか、会社の経理処理上も、株価は七五円、あとは広告代として経理処理はいたしました。」

(二) 以上の証人増山成夫、同三木一郎の各証言、禀議書(符一三二六号)、株式売買契約書、広告掲載に関する新日本新聞とラジオテレビニッポンに対する契約書、証人住友房子、同狭間栄裕の各証言ならびに弁護人提出のラジオテレビニッポンの昭和四三年四月から、新日本新聞の同年六月から各二〇ケ月分の各新聞紙等を綜合すると次のような事実を認めることができる。

即ち、前述のような事情からして日本レーヨンとしては新日本不動産が所有する近江絹糸の本件二〇〇万株をどうしても取得したいとのことから、増山副社長、三木財務部長が、小原社長とこの二〇〇万株の売買交渉に当ったが、小原社長は一株一〇〇円以上でないと売れないと主張し、日本レーヨン側は七五円以下でないと買えないと主張して相譲らなかった。殊に、日本レーヨン側は、そのころ紀井産業から近江絹糸の四〇〇万株を一株七二円で買取ったこと、それとの比較から株主総会に対する対策や営業政策上からも、新日本不動産から本件株式を右七二円の単価よりも余りに離れた高値で買取るわけには行かないとの判断があり、本件株式売買交渉が行詰った状態になったところ、更に交渉の結果、本件株式の売買単価を七五円にすることとし、その交換条件として、新日本新聞、ラジオテレビ日本にそれぞれ代金二、〇〇〇万円づつの広告を掲載することで結着がついたのである。そして、本件株式の取引については単価七五円で売買契約がなされまた、広告の掲載については、ラジオテレビ新聞は、昭和四三年四月から、新日本新聞は同年六月から毎月一〇〇万円宛二〇ケ月を夫々広告する旨の広告契約を締結した。

(三) この点について、第一審判決は、右二〇〇万株の売買価格は一株単価九五円合計一億九、〇〇〇万円であって、一株七五円でその代金合計一億五、〇〇〇万円とする契約ならびに新日本新聞とラジオテレビニッポンに対する合計四、〇〇〇万円の広告掲載契約は内容虚偽の契約であり、右四、〇〇〇万円は実質は株式売買代金を広告料名目に仮装したものである旨判示し、原審もまた、これと同趣旨の判断をしている。

(四) 右一、二審判決の認定の重要な証拠となった小原孝二の検察官に対する供述調書四通、増山成夫の検察官に対する供述調書二通はいずれも疑問がある。

小原孝二の検察官に対する供述調書が証拠能力を欠く等のことについては既に述べたとおりである。

また増山成夫の検察官に対する供述調書について、証人増山成夫は検察官による取調状況を次のとおり証言している。

「検察官

今日ここでお話になることと、前に検事に話したところが要点においてくい違いますので、どうだろうかなということで、くどいようですが、確めているんですよ。

広告料四、〇〇〇万円に相当するだけの値打はないなという意識はあったんですが、それでそういうふうに検事がそう誘導されたので、そうですといったんだと思いますけれどもね。

…………

当時のなかなか検察官のおっしゃることもきつかったんで、早うすまして帰りたいという一心でしたね。」

更に、右増山は検事から調べを受けるということは初めての経験であったこと、東京まで三回も呼び出されたこと、冷静に考えてみると、検事調べで述べたことは間違っていたこと、などを述べていることからみて、増山成夫の検察官調書は全く信用性がないことは明らかである。

(五) しかも、一、二審の認定は、本件取引の実体を理解しないものといわなければならない。前述のとおり、本件株式について単価七五円の売買契約と新日本新聞、ラジオテレビニッポンの二社に対する各二、〇〇〇万円宛の広告掲載契約は、一方では株式の取引について日本レーヨンの主張を容れる代りに、その交換条件として他方高額の広告掲載の取引が成立したものであって、かような取引の方法は現実の取引ではしばしば行われていることは周知の事実であって、もとより正当な取引である。そして、右株式売買契約と広告掲載契約とは実質的に別個の契約であり、単なる仮装契約ではないのである。即ち、有価証券売買契約書(符号二)と、二社に対する各広告契約書(符号三、四)の別個の契約書がそれぞれ存在すること、右広告料の決定は所定の単価表に基いて行われていること、これらの契約に基いて各々金銭の授受があること、それについての会計処理が各社の決算書に掲げられていること、広告契約の履行として約定どおりの広告掲載がなされていること等の根拠を挙げることができる。一、二審判決がいうように、「本件広告料としての四、〇〇〇万円が広告料名目に仮装したものである」とするならば、日本レーヨンが本件広告掲載契約にあたって、わざわざ新日本新聞、ラジオテレビニッポンの両新聞紙につき事前にその広告掲載の効果を調査する必要もなかったし、また、右両新聞社の側でも契約どおりの広告掲載を几帳面に履行する必要もなかったであろう。一、二審は弁護人が提出したとおりのラジオテレビニッポンにつき昭和四三年四月から、新日本新聞につき同年六月から各二〇ケ月の新聞紙に掲載された尨大な広告を無一文の紙屑だとでもいうのであろうか。

(六) 一、二審は、これらの問題については全く眼を閉じ、ひたすら被告人を有罪とすることのみに心を奪われていたものという外はない。原審が、新日本新聞社、ラジオ日本新聞社の受領した広告料についてこれを被告人会社の本件株式売買代金の一部であるとの理由として、「被告人会社、新日本新聞社、ラジオ日本新聞社などは法人としては一応別個のものではあるが、実体はそれらの代表者であり大半の株式を所有する小原孝二そのものである」ときめつけながら、小原孝二の検察官に対する供述調書を刑事訴訟法三二一条一項二号書面であるとする点では「小原孝二は、その生前、被告人会社の代表者ではあっても、被告人会社そのものではなく、被告人会社との関係ではあくまでも別個独立の人格として取扱うべき」ものとして矛盾を暴露していることは、この間の事情を物語るものといえよう。

二、利益計上の時期について

本件株式売買による利益の計上を昭和四三年四月期にしなかったことは違法ではない。

(一) 本件株式売買契約が一応昭和四三年二月二三日付でなされたことは事実である。ところが、本件売買契約は配当金付売買契約であったところ、近江絹糸の決算期が四月であったため、右の契約当時はなお配当金につき未確定であったため、これを後日に留保し、結局右配当金の授受は同年八月になされて、本件売買契約は完了したのである。ところで、被告人会社の決算期もまた四月であったため、株式そのものの授受ならびにその代金の支払と、配当金の支払とが、決算期にまたがって行われたため、本件配当金付株式売買契約は配当金支払の時期をもって完了したものとして昭和四三年四月期には右株式そのものの代金の受領を仮受として処理し、次年度に申告することとなったものである。かような場合、第一審証人高田正康の証言にあるとおり配当金付株式売買契約にあっては、株式そのものの売買代金の支払と配当金の支払とを一体とみて、配当金支払の時期に売買契約が完了したものとして計理処理することは必ずしも違法ではない。

(二) 殊に原審証人松本和夫の証言で明らかなとおり、被告人会社では青色申告が認められていたのであるから、法人税法五七条、八一条により欠損金の繰越し、繰戻しの手続が認められている。即ち、青色申告については損益計算は年度毎に打切りとなるのではなくて通算が認められているのであるから、本件株式売買についていうならば、本来これによる収益を昭和四三年四月期に計上すべきところ、昭和四四年四月期に計上したとしても、昭和四四年四月期末では同じ結果になるはずである。

従って、本件はいわゆる脱税事犯ではないのである。

第三、結論

以上の次第であるから、最高裁判所におかれては、一、二審判決を破棄のうえ、あらためて被告人に対し無罪の判決をされるよう希望する次第である。

以上

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